「飽きる」と「信頼」

「美人は3日で飽きるが、ブスは3日で慣れる」「馬鹿な子ほど可愛い」と言いますが、いずれも人間の本性を正当化する言葉のように感じます。なぜなら、ブスより美人。馬鹿よりお利口なほうが素直に好みますよね。しかしながら、この言葉の裏には…人間は、刺激や変化を好む動物なのだ。ということも示唆しているかのように思えます。いかがでしょうか。

「慣れた は 飽きた と紙一重」

「毎日毎日同じ事をやり続けるのは苦痛でしかたない。」と考えている人は少なくないだろう。反対に「単純作業のほうが向いてるし、頭を使わないから楽だ」という人もいるが、それは仕事の効率などでそう感じているだけで、365日、四六時中同じ作業をやらされたら、たまには違うこともやってみたい。と思うに違いない。それが本心ではないか。

仕事なら、それもある程度は忍耐でやり続けられることでも、お金を出してサービスを受ける立場となるとその心境は一転。「そろそろ変えて欲しい。」と苦情を言う者。つまらないと離れて行ってしまう者。様々。この現象を人は「飽きる」と言っている。

例えば、ファストフードやコンビニのメニューで、お客が慣れたと思った瞬間違う商品に変わっていることはよくある。季節商品、原料価格の変動による、バイトの意識啓発、様々な理由はあろうが一番の理由は、お客を飽きさせないためである。

「慣れたは、飽きたと紙一重」(成田は秋田と紙一重 ♪ by 村シェフ)。最初の刺激に慣れて快適にサービスを受け続けてくれている間はよいだろうが、そのうちに訪れるのが「飽き」。つまり、お客に利用してもらい続けるためには、飽きる前に、常に新しい提案、常に改善、常に変革をしていかないといけないことになる。それによって顧客に良いストレスを与え、店の満足度アップに繋がっていく。

変化はブランディングと矛盾しないか?

ところで、「ずっと変わらぬ美味しさ」という言葉を耳にしてあなたの脳裏に浮かんだものは、いずれも老舗の商品や、大きな企業のブランド商品のはずだ。中にはおふくろの味という人もいるかもしれない。変わらない事が価値観としてみれば、これまでの事例と矛盾していることになる。これはいかなることか?

私はこう思う。何れ老舗の商品であっても、店が望まない原料の物流の変化、使用基準の変更もあろう。また当然の事ながら、人間の嗜好も変化する。デザインのトレンドしかり。こうして一見変わっているように思えない商品でも、意外とモデルチェンジはなされているのだ。コカコーラの甘味料、かっぱえびせんのラインナップ、ミッキーマウスの姿形だってそうだ。

ブランドのそれは主力商品でもあり、売れるこそ、売り続けたいからこその小さな変革を繰り返してきたに違いない。その消費者が感じる”小ささ”とは人間が主観的に決めた尺度だろうが、大きなブランドであればあるほど、それを行う勇気、決断は大きなリスクを背負ったものだったろう。そこにあるのはたぬまぬ研究努力が存在し、商品に込める思い、愛社スピリッツというものになろうか。

商品やサービスから客足が遠のくタイミングを、事前に的確に察知出来る企業があるとしたら、またそれを完璧にフォローすることを理想、としたら、企業のやるべき事は明白だ。販売データを始めとした、きめ細かな顧客のデータ収取、店員やモニターによるフィードバック、クレーム対応からも吸い上げる事ができるだろう。しかし、その最終判断はたった一人の経営トップによってなされるわけだから、その裏舞台を覗き見たいという一般消費者の好奇心は尽きないのだ。実話本やテレビのドキュメンタリーに釘付けになることも多々ある。そしてそのリーダーは伝説にもなりえる。

業務改革。全てが受け入れられるものばかりではないはず。その判断によって一気に失速してしまったブランドもあるだろうし、息を吹き返し再びビッグヒットとなったものもあるかもしれない。そこで勝ち得るものはブランドの信頼とストアロイヤルティなるものである。

信頼を得る法則

商品のブランド作り。ショップの信頼維持。これらには、「顧客を飽きさせないための変革」を共通して感じ取る事ができる。この「商品」や「店」といったものを、「人間」に置き変えてみたらどうなるだろう?

おぎゃぁ。と産まれて立ち上がり、言葉をしゃべり、学校に入る。このような変化は外見的にも内面的にも小さな変化であるはずがない。人間とは優柔不断で、回りの人に左右されるし、マスコミにも影響される。なんて信頼のおけない動物ではないか?大人になってもいろんな意味で成長し続けるものだ。もっと大げさに言えば、脳みそがあり知能が存在する限り、人は日々刻々と変化して、死ぬまでこの変化は停まる事がない。ブランドにしてもそんな人間の基準で評価し、創り上げていったものではないか。

そろそろ論理を集結する。人間が成長と変化をするのは、それを知能が本能で求めているからと、仮説を立てる。そしてその人間の欲求により、過去にどんなに支持していたものであっても、何がしかの改新が感じられないものは不満を抱くようになるのもである。そして求められるものは、変化、改革、成長なのである。

よって、変わらないものは飽きられる。人の変化と共に成長していくものは信頼を得る。ということになる。 付け加えると、「小さい大きい」のような主観的な表現は正しくない。あくまで人や時代の成長にあわせた変化でなくてはならない。と考える。

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2011年02月14日 21:00に投稿されたエントリーのページです。

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