それをやれるのは誰だ

◯◯がいけない。◯◯だったから。という言葉が出てくると、その場が一気にネガティブになる。

右肩下がり症候群

人口が減少しているのに生産やサービスが増えれば過剰供給となる。市場がオーバーフロー状態なら物の値段が下がるのはあたりまえ。そこに企業同志の価格競争が追い打ちをかければ、恒常的なデフレと共に小規模事業者が太刀打ち出来ない状況に追い込まれていく。

ユーザー(利用者、消費者)は、同じ商品なら安いほうを選ぶ。そのしわ寄せがいった人たちの言葉を耳にする。

  • なるべくなら市内のお店でお買い物をしようよ。
  • ハンバーガーを100円、牛丼を300円で売られちゃかなわないよ。
  • こんな値段で売ったんじゃ採算とれないよ。

数年来変わらないが、ややもすると「選ぶ消費者がいるから・・」「企業努力が足りない店がいけない・・」となる。

買っていただけるだけでありがたい。少しでも喜んでもらえれば。高くしてはお客さんに申し訳ない。と見上げたかたもたくさんいて頭が下がるが、果たしてこれでいいのだろうか?

ある人は、あの店がうちの近くに出来なかったら。とか、価値が解らないお客が悪い。人通りが少なくて商売がうまくいかないのは●●のせいだ。とも言う。これをどう思うか?

私はいずれも間違いでは無いと思う。生業としている自分の商品が売れて欲しいと望むのは当然。しかしこの二者は、捉え方が違うだけで、現状に問題を抱えているとしたら、決して良い方向に向かっているようには思えない。

ほんとうにやれる人

例えばあなた自身、誰からも求められない人になってしまったとしたらどうだろうか? きっとあなたは、自分自身を振り返らざるを得ない。なぜなら、自分を一番理解してコントロールできるのは自分をおいていないのだ。

モラルにしても、その文化にしても、価値観にしても。私は世の中を変えていく力を持っているのは、専門家(業界の人間)だと思っている。またそうでなくてはいけない。

個人がたやすく繋がってムーブメントが起こる時代とはいえ、トレンドの先頭を切り開いていくのは大小の企業やそれを取り巻く業界だと思うのだ。マスメリットもあるだろうし、購買によって伝わっていくものの強さといったものか。

それで食っている専門家は、常にクオリティを高く保ち、変革していく役割を担っている。それは、同業者同志で生き残りの戦いをすることや、暴利をむさぼることが本来目的ではなく、その分野のリーダーとして前述の影響力をもって社会に提案するためだと思うのだ。

ちっぽけな料理家の私であるが、未だに仕事で料理を作りながら「こんな美味しい物、今まで口にしたことあっただろうか!?」といって驚くのだ。これはプロの現場の環境ならではのこと。そしてそれが様々な要素と絡みあって伝えるべきものであると思えば、それをどうしたらいいか?と必死に考える。本来の価値の伝承というものだ。

今は素人でも、デザインだけ真似て自己満足に浸りながら、自分のための商売をやっている人が沢山いる。それが文化だと勘違いしている。経験不足な消費者はその真価に気づけていない。薄っぺらい要素が蔓延している。多様化の悪弊。では、それを誰が解決できるのか?

問題意識を持てるのも、クオリティを高く保てるのも、業界の人間であるからこそ可能なことがたくさんある。利用者(消費者)のモラルや、市場のムードに委ねる。それは戦略として有りだろうが、それとは別の位置づけでプロが先頭を立ってその価値を正しく伝え、未来に求められる提案していくこと。これにより、業界が成長し社会に貢献することが大切なのだ。ほんとうにやれるのは、ど真ん中の人間なのだ。

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2011年02月07日 22:05に投稿されたエントリーのページです。

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