”サービス”とは何だろう?私の長年のテーマである。
一言で言うと「優しさ」ではないか。数年前からそう思っている。
学校を卒業して、サービス業界の登竜門「ホテル」の門をたたき、「料理人」という職人の道を歩んだ私が、最初に耳にした言葉は「プロフェッショナルの精神」と「おもてなしの心」だった。
”もてなすこと”とはどういうことなのか。私が入った会社は社員全員が自らの意思でそれを実践に移し、そんなもてなしの館を皆が誇りに思っていた。10代の私には素直にそう写った。
お客様の事を思い、いかにして喜んでいただけるのか、自分がその立場ならどうして欲しいか、どうやったら最高の感動をお持ち帰りいただけるのか、四六時中そんな事ばかり考えつつ、私の担当であるキッチンの仕事はあくまで最高の料理を作ることではあったが、サービス係とスクラムを組んでお互いの知恵を出し合い、料理を超えた料理のために常に高いモチベーションでお客様と接していた。それはヒットばかりでなく、空振りも、見逃しもたくさんあったろう・・。
お客様は常に完璧を望んでいるわけでも、ミスを絶対に許さないのでもないことはそのうちに解ってきた。
そんな事よりも単純な事、お客様はただ喜びたいだけなのだ。それによって自らを満足させ、お金を支払う。
いくらキッチンが最高の材料とテクニックで料理を作ったとしても、それがお客様が喜ぶ事とは別の問題だ。そのホテルは当時、「最高の接客、最高の料理、最高の施設」を3つの目標にしていたように記憶している。それは基本であって、本当のサービスはその他にあるのだ。「スピリッツ」と呼んでいたものが生み出すものだった。
日々商品を作っていると、そのモノが不良品でなく作れているか、昨日より劣っていないか、他店の競合商品に優っているか、そんな事ばかりに縛られるようになる。簡単にいえば「惰性」。
品質管理としては大切なことではあるが、それがお客様が喜ぶことと全く別のこと。・・を忘れてしまっていたとしたら、たまに思い出さなければならない。でないと調子っぱずれの裸の王様になりかねない。
お客様は常に違う物を求めるし、利用するのは所詮お客様個人の事情。統計によって傾向を知ることはできても、お客にとっては人が喜ぶことではなく、ただ利用する自分一人の基準値が喜び値になっているかどうかが判断基準である。すなわち一人一人の心の内を慮っていないとしたら、それを喜びで満たすことは出来ないのである。難しいとか、無理とかの話ではなく、それをやるのがサービスのプロではないのか。
さて、ではなぜ優しさがサービスなのか。
これは適当な言葉が今のところ見つからないから使っているので、今後変わっていくかもしれないのだが。
人は優しくされると嬉しいのである。
本当に困り果てているとき、そっと声をかけてくれて、気持ちを和らげてくれたとしたら。
うっかり忘れていた自分の誕生日に「おめでとう」のメッセージが何気なく届いていたとしたら。
一度しか会話を交わしていないお店の人が、数年経っても自分の顔と名前を覚えてくれていたとしたら。
これら紛れもなく、たった一人の相手を慮る気持ち。「あなたの事を・・」である。
これは優しさと言わずしてなんだろうか。
あなたは、ヒカリものがお好きでしたね。
お母様の誕生日が近かったと記憶しておりますが。
お体の調子はいかがですか?今日は油を少し控えておきました。
こんな言葉がかけられるかどうか、それがサービスのプロなのである。
「嬉しい」には愛や優しさがあって、人と人の関わりに最も大切な事ではないか?
ねおかんぱーにゅ南部のスローガン「うれしい、たのしい、おもしろい」。のうちの一つでもある。
『APPLEのシンプルは優しさという最大のサービス』@大進化 へつづく
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