健康は体から。
「健康食品」は何でしょう。特定保健用食品(特定保健用食品=身体の生理学的機能等に影響を与える保健機能成分を含んでおり、血圧、血中のコレステロール、お腹の調子などが気になる方が、健康の維持増進や特定の保健の用途のために利用する食品です。..ネット調べ)というのがあります。ヘルシア緑茶やサントリーの黒烏龍茶など、私も好んで飲みます。理屈は解りませんが、飲むと体調が良く感じることが多いからです(今のところは)。
お通じが良かったり、体が軽くなった気がして生活しやすくなります。それだけで気分もスッキリするし仕事もはかどります。
腰や足が痛くなかったりすれば、登山でもサイクリングでも健康体操でも、体によさそうなお誘いはみんなお受けしたいのはやまやま。グリーンシーズンは相棒のビーバーがそのかわりとなってくれています。
スポーツらしいスポーツもしない生活がずっと続いていて、必ずしも本意ではないということを言いたかったのですが・・。
特保を摂取したり、お昼の番組で”体にいいよ”と言われたものを食べれば、それが健康なのかというとそうではない事は誰でも解っています。減農薬や有機栽培、安心安全と言われる食べ物を食べれば、それは体にとって害も少なく、食品に含まれる栄養素がよい影響をもたらすことも、だいたい正しいと思います。医者に止められても、甘い物が好きだから、酒はやめられなくてと、あえて欲の思うままに食べてしまっても・・後悔よりもその時の満足を優先する人の気持ちはよ〜く解ります。
”美味しい”とは何でしょうか?
私は料理を作りますので、ラーメンが、シュークリームが、カツ丼がどうやってできるか知っています。正確にはある程度知っていますかもしれません。でも、どんな動植物がどう加工されて、どう調理されて、またどうやると食べる人が美味いと言ってくれるかも知っています。
そこで、いろんな人がいますが、必ずしも美味しいと言ってくれる基準がそれぞれ違うために・・、かといってより多くの人が美味しいと言ってもらうための料理を作る事をしながら、私が「こうしたプロセスの料理を美味しいと思う事がきっと大事だよ。」と思って貰うように仕事をすることのために、少なくともお金を貰いながら努力したり苦労に思ったりすることがとても煩わしく思うようになってきました。なぜなら、いろんな人、いろんな価値観があって、大多数の価値観が必ずしも正しくはないし、正しい価値観なんて決めつけられないものを、多数派に求めることも無意味だと気づき始めたからです。
私は料理は美味しい事が一番だと思っています。安全であることはそれ以前の問題です。これは、もう20年以上も前から(約30年)思い続けてきたことです。変化したのは、何を美味しいと言うか。ということかもしれませんが。
体に良い物(健康に良い物?)は、確かに美味しいと思っていました。マスコミで取りあげられる度に、それみたか。と言いたくなる気持ちをぐっと抑えて・・。特保マークや、科学データになるべくなら惑わされず、口や目や香りで見分けることができるようになればもっといいですね。
私の場合は、一日に食べる回数やダイエット的な、マクロビオテック的ななんだかよく説明ができないミックスされた独自の健康食の法則を持っています。これは個人差があるので言いません。
プロが持つ役割は、きっと社会に与える影響であったり、業界を健全なものにしていく努力は大事な要素だと自覚しています。但し、資本主義の世の中では大量生産やそれと繋がったマスメディアの影響力に振り回されず自分の想いを貫く事は本当に難しいことだと感じています。回りに共感者が少なくなればなるほど、人や時代と逆行しているように見えればなおさらのこと。ある意味結果でしか評価されないから怖さもあります。
”美味しい”と言うことは、嬉しさの表現でもあります。番組名は忘れましたが、渡辺篤史がお宅拝見で素敵な家に足を踏み入れた瞬間「嬉しいですねぇ〜」の決め文句が大好きでした。私の作った料理を食べた人に”嬉しいわねぇ”と言って貰えたときの感動。私も幸せになります。なぜ嬉しいのでしょうか?きっと小学生ではこのセリフは出てこないでしょう。経験が言わせている言葉だからだと思います。
「子供にはもったいない」という事があります。極上のステーキや一流割烹の懐石料理はそう言われるかもしれません。必ずしもそうではないと思いますが、むしろ子供さんにはもっと違う食体験をさせるべきでしょうね。経験を踏むうち、大人は舌や味覚以外のもので食事をしているものです。
健康はその本体である身体が病も無く、それぞれの臓器が正常に作動していることを(医学?的には)差すのだと思うのですが間違いありませんよね。そんな体を作る物は何でしょうか?空気?太陽光線?それぞれも影響するでしょうが、やはり口から入る水や食べ物の占める割合は相当大きいと思います。なので食べ物には気を遣わなくてはいけないのだと解釈しています。「人間は口から入るもので体が作られる」。
よくもまぁ、こんなに好き嫌いや嗜好性、食べているものの違う人間が同じような見た目になるものだと関心します。
「心身共に健康」と言います、その通りです。良い音楽を聴いて美味しい物を食べたって、体を病んでいたら嬉しさは半減。心配ごとやイライラの中で正しい経営判断も出来ないでしょう。ただ、そんなにいつも良い状態でいれるはずも無いので、両者が充実しているときの満足が高くなるのでしょう。
美味しい物を食べるコツがあります。それは経験です。間違いたくないのはカルチャースクールに通う事や、○○体験に参加することではありません。誤解があっては困るのは、体験することそのものではなく、内容やそれによって何を考えたかということです。学べることは喜びです。気づく事は最大の嬉しさに繋がります。
”心が健康”とはなんでしょう。体が健康よりさらに抽象的です。憎しみや怒りで無いことだけは確かです。
それに心と体とバランスはやはりとれています。というか循環しています。「健全な肉体に健全な精神が宿る」。
精神が健全であればきっと体も健康になるでしょう。言うまでもなく、なんだかいろんな法則が世の中にいっぱいありますし。
美味しい物を食べるコツは経験と言いましたが、もっとそれを増幅させる方法もあります。今まで述べたように、《美味しい物=体の健康にとってよい物 経験=学びと気づき》だとしたら。だとしたら、私は真っ先に自らの手で食を作ろう!と言います。それは、「農家になれ」でも「料理人になれ」でもありません。昔の農耕狩猟の生活に戻って三世代家族で暮らせ。でもありません。
答えは選択する人の中にあります。
心身は健康に。嬉しければ絶対健康になれます!嬉しいですね。
最近の コメント