《1.観光→3つの回廊→4つのツーリズム。今までをふり返る》
●自治体の施策と私の関わり
私は、1998年(8年ほど前)くらいからしばらくの間、地域の観光と関わった時期がありました。
そして、旧新井市が進めていた農業体験の取り組みを、2000年頃にお手伝いした事もあります。当初はグリーンツーリズムと呼んでいなかったと思いますが、市内に体験交流施設ができた頃で、県内でもそれなりに早い取り組みだったような気がします。
また、広域行政区(妙高市として合併する前の1市2町2村)で、「自然・歴史・芸術文化という3つの回廊を作ろう。」という取り組みに2001年頃から関わりました。「妙高四季彩博物園構想」です。これは合併を機に「妙高四季彩物語」と名称が変わり、”回廊”のイメージは○○ツーリズムに引き継がれ、「スロー〜」「アート&カルチャー〜」「メディカル〜」「グリーン〜」といった表現になっていきました。
「妙高四季彩博物園」では、クリエータインレジデンス(県外から招致したアーティストや有識者による滞在型の地域支援活動)によって、多くの地域資源が掘り起こされ、その後、積極的な地域活動に結びついていったように思います。そしてこの妙高四季彩博物園事業の終わりに、ねおかんぱーにゅ南部としての初の活動でも繋がっています(田舎の味と暮らしミュージアム作り)。
●”新井”から”妙高”へ。観光の移り変わり
旧新井市の観光は、ARAIマウンテン&スパ(創設時ARAIマウンテン&スノーパーク)と縁が深く、もともと宿泊と遊びというジャンルにあまり強くなかった地域ですが、ARAIリゾート進出を機に、地場産業系企業や商工、行政などが力を入れて取り組み始め、体験交流や、”上杉景虎ブーム”も一役かって、新井の観光を支えてきたように思います。しかし2005年の市町村合併で統合された、妙高高原エリアのスキーと温泉を核にした、歴史ある根っからの観光地域との差は歴然でした。
しかし良い点と言っていいのか、体験交流という意味では、旧新井市内数カ所の当該施設は、目的に沿って運営を続け、商業優先というよりは、地域と都会の繋がりという点で、価値を生み出しているような気がします。それは今日、妙高全体のグリーンツーリズムの着火点となっている施設と言えるのではないでしょうか。
●認知されつつあるグリーンツーリズムというキーワード
妙高市におけるグリーンツーリズムの動きとして、今年度「妙高市グリーンツーリズム協議会」が立ち上がりました。単独な取り組みから、より大きく受け入れ体制を変化させようとしているように見えます。合併したことによる観光地域としてのイメージが明確になってきたことももちろんです。他地域に遅れを取らないよう、という啓発もあると思います。ウインターシーズンの観光から、グリーンシーズン(オールシーズン)の観光へシフトしよう。という状勢の後押しもあります。
しかし全国的なこの流れはどこに落ち着くのでしょうか。あらゆる地域が同じ何かを追いかけているような気がします。
妙高市が歩んできた道も、ふり返ってみたら様々な流れがあったことを思い起こしました。私にとっても関心事のグリーンツーリズム。これからどう変わっていくのでしょうか?大事な事は何で、どう変わるべきなのでしょうか?
グリーンツーリズムと私|=1=|=2=|=3=|=4=|
【インデクス】
=1= 観光→3つの回廊→4つのツーリズム。今までをふり返る
・自治体の施策と私の関わり・”新井”から”妙高”へ。観光の移り変わり・認知されつつあるグリーンツーリズムというキーワード
=2= 食からスタート。個と個の繋がりが私のテーマ
私にとっては食がスタート・精神的繋がりはビジネスをイメージしにくい・個と個の繋がりがずっとテーマだったことを確認
=3= 「個食問題」で混乱!?
・気づいたら矛盾が・・不安になりました・”個食”の意味とそれが無かった昔の話・”個食問題”に立ち返ります。
=4=(最終)これからの課題
・「一緒」と「学ぶ」がイメージできればいいなぁ・グリーンツーリズムをプランするなら・この先の宿題とさせてください
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