焼きもの(土いじり)をやるようになってからですが、経験からこんな事が実感できるようになりました。
「世の中には、負のオーラを発する○○(場所、人、モノ)があって、私の場合はそれに近づいたり関わったりすると肉体的、精神的ダメージをこうむり、半日〜翌朝まで調子が悪くなるようだ。」
たぶんそれまでは、自分の否としていたり、なるべくそれを感じないようにバリアを張っていたおかげなんだと思います。
歳をとったせいなのかもしれませんが、その負のオーラに出くわした時のショックは年々大きくなっていくような気がして、最近では自分から近づかないか敏感に察知できるようになりました。危機感から身を守る護身術みたいなものなのだと思います。
考え方を変えれば、これはいいことです。なぜなら、正のオーラを気持ちよく受けられるようになり、そんな中に自然に入っていけるようになったからです。
敏感にと言いましたが、必ず事前に察知出来るわけではなく、近づいてみたら「ぅわっ、これはマイナスだった」と言うこともいっぱいあります。でもこれは神様が与えてくれた課題なんだと思います。だから最初は恐れず飛び込めます。
土いじりをやると、作物を育て、人間を育む大地のオーラに直接触れられるばかりか、それによってつちかわれてきた様々な文化と出会い、なにより新しい形を無から造形できる驚きや喜びがあります。
そしてもっと実感できたのは、自然の時間と自分の頭の時間が同調するという事でした。作品は自分自身であり、作品を創るということは自分を創るということだからです。(話では解らないので、興味がおありでしたら体験してみてください。)
単純な過程をたっぷり味わう中で、脳みそが無理せず、歩調をあわせながら思考が熟成していく充実感は量りしれません。
というのも今の世の中、早く考え決断したり、いろんな事を同時に考えなくてはいけなかったり、それに慣れすぎているような気がします。
土いじりのおかげで、自分を認め、他人も認め、世の中の様々な現象の存在を以前より認められるようになってきました。
一方で、無理や偽り、隠し事などにも敏感になっていました。そのようなものは引き寄せ合う性質があるようで、その周囲には負のオーラがたちこめる。という訳です。
人間には得意不得意があるので、きっと土いじりだけがこうなのではなくて、編み物や書道、彫塑、掃除洗濯、じゃがいもの皮むき、畑の草取り、ひょっとしたらみんな通じるものなのかもしれません。できれば一人でやれるものがいいんじゃないかな。
正のオーラは、これまた引き寄せ合う性質を持っていて、そんな意味でねおかんは、脳みそが活性化する良い場所だなぁと実感しています。作ってくださっているみなさんに感謝しています。
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