目で食べる

> 和食は(洋食もそうかもしれませんが特に和食は)目で食べている部分が大きいと思います。舌と五部五部か、もっと目の方の比率が大きいのかな?盛られる器によって味が全く違いますね。(海山 森人→そのコメント

目で食べる。え〜? 口で食べるんでしょ。なんておきまりの展開から・・。

「和食は目で食べる(目でも味わう)」私も昔からそう聞いていました。正直抵抗がありました。「料理の彩りに○○を」という言葉も、個人的に、ほんとはあまり好きではありません。
「食べ物なんだから、おいしいことが一番大事なんじゃないの?おいしく調理をして、栄養バランスもよく組み立てれば自ずと美しくなる・・。」
そう信じ切っていたからです。

ところが、どうやらそうでもなさそうだということに気づきました。
和食と洋食を同じように比較してしまったことが、そもそもの間違いのもとでした。

見た目の違いとしては、和食は敷き葉など、食べられない(食べない)ものも皿の上に盛りつけますが、洋食はあまりしません。ピックや銀串のようなものはありますが、マロニエの落ち葉を皿に盛ったフランス料理など見たことがありません。
ちなみに、中華は食べられる素材で飾りを作ります。

ヨーロッパでは昔から、優れた料理人は芸術家とならんで地位も高く評価されていました。今では日本でも有名シェフは偉そうにしていられますが、昔の料理人さんが、人の前にでて腕組みをして胸を張っている姿は私にはイメージできませんでした。
日本の料理は精進料理の字の如く、心を鍛錬し、礼を重んじ、命を頂く料理です。
ですから、洋の食はアート(芸術)とすれば、和の食はハート(精神)です。
つまり、アートである洋の料理にとって、皿はキャンバスなので、出来るだけシンプルにまた、料理を引き立て、邪魔をせず、時に料理のデコレーション(額縁)であったりします。作り手も、お客も、サービスも、音楽も皿の上の料理(作品)を支点にしています。
和はどうかというと、皿は料理のためではありません。言い方を変えれば皿そのものも料理の一部。なので食べない葉っぱも飾りではありません。
食べない部分にも大事な意味があり、その最たるものは間。和の文化では無の在り方がものすごく大事です。
無いことによって想像力が高まり、精神的な満足が得られるというのもあります。影によって物の存在を知るようなものです。
また、無は、無限でもあり、料理も大宇宙の縮図と考えることができます。
と、こんな感じです。

和の場合は、ともかく、器の上にあるものは食べ物には違いありませんが、それ以外の全てのものも、その食べ物と同じくらい意味があるものだと・・。
以上はあくまで私の解釈です。

「目で食べる」というと、美しい盛りつけや、器の事と勘違いしてしまうのではなかろうかと思います。
ということで、目で食べるというのは、私にとっては、和食に変な先入観を抱かせるあまり良い言葉ではなかった。という話でした。
日本のものはとかく、感覚のものが多く、若い世代やどんどん新しい情報が入ってくるような注意散漫な環境では、うっかり見過ごされてしまいがちなものなのかもしれませんね。

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2008年03月07日 16:40に投稿されたエントリーのページです。

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