見る目があると得する話

人の価値観って解らないです。
例えば、今自分が見ている景色って、他の人にはどう見えているんだろう?

ただの雪景色に見えるかもしれませんが、私たちが見るのと、沖縄の人が見るのとでは見え方が全く違うんでしょうね。
子供の頃見ていた雪景色と、「大雪の災害の困難」や「待ちこがれていたふきのとうの味」を味わってきた今では、自分の中だけでも変化していますから、他人にどう見えているかなど想像もつくはずありません。
「好き・嫌い」「欲しい・いらない」「美しい・醜い」これらがよ〜く見えてくるのは、いろんな経験を積んだあとなのかもしれません。私もまだ先輩の半分ですから。

器の話ですが、
私は西洋料理屋の家に生まれ、ホテルに勤めフランス料理を勉強しました。
洋食器というのは解りやすくて、ホテルではレストラン毎にデザインが決まっていました。
宴会なら金縁、コーヒーショップは淡い黄色、フレンチなら花柄、といった具合。
皿は1インチ毎に6、7、8、9、10インチ、それにコーヒーカップ、ティーカップ、デミタス、チャイナ、シリアル・・といったふうにサイズや形は違いますが、同じレストランは同じデザイン(シリーズ)で統一されているものでした。
一概には言えないのですが、器に求めるものは日本料理の比ではなく(質が違うと言うべきか・・)、器選びの選択肢が少ない分、今思えばある意味助かったと思います。

和(日本人)の感性は、食文化にも特別なものを求めていると思います。
盆栽や茶器の世界では、形やたたずまいを「景色」といいますが、具体的には、こんもりとした頂点になだらかな肩は「山」。登り下りある口縁は「道」。など。正円を嫌いわざと歪ませて作ったりもします。
時に、茶碗の内側や盆器のある空間を”万物を凝縮した大宇宙”に例え、スケールが大きいです。
西洋人が器に宇宙を表現したい時は、きっとロケットや星の絵を皿に描くんでしょうね!?

私はあるきっかけから陶芸の世界に足を踏み入れました、磁器、陶器、色、素材など身をもって知ることになった訳ですが、それまで持っていた器の価値観が全く変わってしまいました。
一言で言うと、何がどうやってそうなるのかを経験し、見る目が少し養われたんです。簡単には説明できませんが、質の良し悪しばかりでなく、いかに今まで表面的にしか器を見ることができなかったか、ということに気づきました。
手元にある無数の食器を久しぶりに手にとってみると、全く違うものに見えてしまったんです。お店で食べる時もそうです。
見えていなかった頃をふり返り、不思議な気持ちになります。

見る目が養われたおかげで、食事がさらに楽しくなり、器に限らずモノの価値観にも影響が及んでいました。
価値観が変わると、同調したり興味を引かれる人も変わり、おもしろい知りあいや仲間が増えました。同じ相手でも一層理解できるようになったところもあります。
お得ですよね。

コメント (2)

海山 森人:

「見る目がある」って、目が肥えているって事ですよね。器に関する、よー君の造詣の深さにはもう完全に脱帽。盆栽や茶器に「山」や「道」があるなんて、思いも及びませんでした。全く、どシロウトの森人はただただ感心するのみです。長い間に培われた目なんでしょうね。

偶然にも今日寿司屋でゴツイ大皿に盛られた寿司を目の前にして、器に関してかみさんと話し合ったところでした。和食は(洋食もそうかもしれませんが特に和食は)目で食べている部分が大きいと思います。舌と五部五部か、もっと目の方の比率が大きいのかな?盛られる器によって味が全く違いますね。では、器が先か、料理が先かと言われると、どうでしょう?矢張り料理が先でしょうか?作った料理をどんな器に盛り付けるか、きっと調理人は戸棚を探し回るんでしょうね。僕ならそうするでしょう。気に入った器を出してきてから、さて、これにどんな料理を盛りつけようかとは、この忙しい最中に思わないでしょうね。若しかしてそんな事も有るかもしれませんが大抵は料理が先だろうなぁと森人は思いました。
年を取るにつれて、和食にはそんな調和が伝統的に備わってきていて、それを感じる事が出来る様になって来た日本人の僕ってシアワセなんだなぁって思います。

「人にはどんな風に見えているか?」って、僕も悩んだ(大げさな!)事があります。実は今でも悩んでいます。青年時代に、僕が赤いと思っている色は、他の人の目にも同じように映っているんだろうか?違う色を赤いとみんな言ってるんじゃないか?一人ひとりが感じている色が違うのに、その色を皆が赤と決めているんじゃないか?って悩みました。誰も答えてくれませんでした。(赤という例えが悪かったかも知れません。別に色盲かと悩んだ訳ではありませんので。何色でもいいんです。)

もっと幼い頃に思った事があります。影や夜のトバリは、光を嫌う真っ黒な微粒子じゃないかって。光に敏感に反応して、瞬間に消えてしまう性質のある真っ黒な微粒子じゃないかって。結局証明出来ず仕舞いで、実は今日初めて告ります。光と影をどう捕らえたらいいのか・・・。

もっとあるんですが、いいですか?

これは数十年前に読んだ小説の中で言ってる事ですが、鏡の中の自分を見ると、左右が逆になってますよね?何故左右だけが逆で上下も逆にならないのか、考えた事がありますか?二つの目が左右に並んでいるから?そんな単純な理由ではなさそうです。じゃ 目が上下に二列に並んでいたら?縦になって上下に有ったらどう見える?・・・・頭がおかしくなりそうで、思考停止しました。広瀬さんという作家が書いたもので、確か「鏡の国のアリス」という小説だったと思います。三篇の小説をモノにして、惜しくも夭折しました。

よー君 

本質とかけ離れたクダラナイ事をクドクドと済みませんでした。
このとおり反省しております。

よーくん:

> 「人にはどんな風に見えているか?」

私には「正人」という名の友人が二人います。
実は、一人はまさと、もう一人はまさひと。
片一方しか知らない人は、迷わずその名前を頭の中で読んでるでしょう。

いままさに「森人」さんの読み方を知らない私。
みなさんはどう読んでいたのかなぁ?ちなみに私は、「もりひと」。でもあらためて考えてみると「もりと」なのか、「もりゅうど」もあり?

デジタル画像のフォーマットでGIFというのがあります。
これをジフと呼ぶ人あり、ギフと呼ぶ人あり。どちらも間違いじゃないということになっているようです。

内蔵逆転してる人もいるくらいですから、赤い色は見る人によって違うものに見えてるんじゃないでしょうか?味だって。
私は左右の目では見える色が弱冠違いますよ。

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2008年02月25日 18:43に投稿されたエントリーのページです。

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