類は友を呼ぶtwitterのツィートについて少し・・

ジャパネットたかたの高田社長が一ヶ月限定(本人談)とかでツィッターtwitterを始め1万人をはるかに超えるフォロワーを集めている。
話題のtwitterに思うこと。うっかりしていたけど、twitterで誰が喜ぶの?

早速ググると以下

Q)twitterの昨今の盛り上がりの影には「twitter運営会社による絶妙なプロモーション活動」があったという噂を聞いたのですが、どのような活動だったか?
A)利益についてですが、主に広告収入です。GoogleAdwordsに似たオークション方式を取っているみたいで、スポンサーが言葉や単語、その組み合わせに入札して一番高い順に広告が表示される仕組みです。また、プレミアムアカウントのほかにフリーミアム(Freemium)があり、広告を見たくないユーザーの為に小額の料金で広告を表示させないといった方法でも収入を得ています。(後略)(人力検索はてな内の発言引用

なるほど。うまく考えている。
しかし、商売である以上なんらかのスポンサーの不利益排除など無いのだろうか?
それに、一社独占的なコミュニティの将来は?
脳裏をよこぎる。

ところで、利用させてもらってそう日が長くない私でも、それなりの社会(?)ができてきて興味深い。
面白いのは、そう気にならない人や嫌いな人をシャットアウトできる仕組みだ。いくらあなたが好きですよ。とプロポーズ(フォロー)されても、興味ありません。お断りします。(リフォローしない、ブロックする)いいつけますよ。(スパム報告)が自然とできる優れもの。フォローする側にとっても、「やっぱやめ!」がそれほど抵抗を感じること無くできる。
「ワンクリックで焼却炉行き」なかなか普段のお付き合いではこうはいかないので、これらソーシャルメディアの"社会(ソーシャル)"という名前がふさわしいのかな?といったいいがかりでもある。

”類は友を呼ぶ”とは良く言ったもので、自然と自分にとって楽しい人が集まってきて、タイムライン(フォローしている人と自分のつぶやきのリスト)の居心地が非常に良いのだが、 果たしてそれが本当に自分を開いている(発信)ことなのか?と問い直すとやはり首をかしげたくなる。自分の都合と好みで選び分けられるからだ。

具体的には、ちょっと気に入らない事があればフォローを解除する。そしてまた新たに探す。
ともすれば、フォロワーの気に入るキャラクター形成に陥らないか?
よってそこで作られる社会が、窮屈で閉鎖的なものになっていってしまわないのか、という懸念がある。もちろん、自分が望めば結果は違うのだろうが。

twitterに限らずソーシャルメディアでは言葉が飛び交う。文字面もさることながら、スピードやリズム感、爆発力も肌で感じながら参加していると、twitterに70万人ものフォロワーがいるsoftbankの孫さんの発言はどこまで孫氏自身でいれるのか、有名人の境地ははなはだ想像しがたい。

このところ興味深くフォローさせてもらっている方について。詳しく書けないが、その方の言葉はものすごく私の頭と心の中間地点を射ぬくのである。
そのツィートについて、私の中でイエスとノーの二つの答えが交差して否定もしたいが、そうする裏付けを自分にとったりするする際、非常な葛藤を感じるのである。
否定が羅列しまくるツィートの裏に・・
完全であることへの責任や使命・・
個人と会社としての立場・・

その時、様々な事を考え学び一人議論をし、よって私自身も形成されていったりしているわけだ。
デスクのテーブルの片隅で、いつまでも捨てずに置いてある塵がある。塵に非があろうはずがない。
それも明らかに私の類に属する友ということになる。

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2011年01月11日 14:28に投稿されたエントリーのページです。

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