だれのための「がんばれ」?

がんばれ!期待してるぞ!

そう言われてがんばっちゃう事があった。
はたしてその言葉をかけることがいいことだろうか。
言われた本人は励ましと受け取り、言葉を投げてくれた人のためにも成果を出したい。と思うものだ。
成果が出せないときのくやしさ、心の中で精一杯やれなかったときの後ろめたい気持ちは残るものである。近しい人から言われればなおさらだ。

たまたまか知れないが、うちの親から「がんばれ」や「期待」の言葉を聞いたことが無い気がする。
だから親のためにがんばろうなどと思った経験が思い浮かばないが、きっとこれは幸せなことだ。
そう言えば「結婚しろ」も聞かなかった。
結果が出たときには褒めもせず、ただただ喜んでくれるだけだ。

「がんばれ」そんな言葉は、かける自分のためにあるのかもしれない。
がんばった成果を私に見せて欲しい。その成果は応援した私のものでもある。そんなふうに思いたいに違いない。

「応援をもらって力が出ました!」と、良い結果を出し続けるプロ選手はいるが、さすがファン思いだなぁと思う。自分一人で出した成果ではないことはたしかだが。

私も紛いなりにも指導者、たまに”先生”という立場で30年になろうとしている。その間何度「がんばれ」と言ってしまっただろうか。
最近は言うたびに「またつまらない事を口にしてしまった・・。」と思うようになった。もっといい言い方はないだろうか。
「あなたの残した結果はあなた自身の努力の成果であり、私とは無関係のものだけど、私の勝手であなたを応援する!」?
言い過ぎもおかしいが、何も言わないのもかえってプレッシャーだったりするし。 
人に期待を寄せるときのかっこいい表現はないだろうか、ゆっくり考えよう・・。

関係の無い話だが、この春ねおかんぱーにゅ南部で初めて学生インターンを受け入れた。妙高市の国際自然環境アウトドア専門学校の二年生。一年間の予定が突然就職が決まって半年で切り上げとなり、年度始めに立てた計画が大幅に狂ってしまった。
何と言おうか、全く彼は期待はずれの裏切り者!!・・この使い方はさすがにブーだな(謝)

100712senda

 

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2010年09月11日 09:05に投稿されたエントリーのページです。

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