芸術とは何ぞや

(メールをいただくと思ったことを発散してしまう、持論のたぐい。興味ないと思われたかたはご覧いただかないようお願いします)


芸術をやるのに必要なものは?芸術は誰のためもの?地域の芸術について思うこと。
などなど書いてみました。


環境なくしてアートなし

アートは環境が最も重要です。アーティストは自分の創作できる環境を求めてどこへでも行きますが、環境の悪い所にはこれっぽっちも魅力を感じません。
では、環境は何かというと、”空気”です。これは、KYの言葉で広く知られたように、「汚染された空気」という意味ではなく、雰囲気や気、といったイマジネーションの問題です。オーラみたいににじみ出てくるもので、化学や数値では表せません。

作るという意味では、絵画も、音楽も、料理も同じで、物づくりは皆同じくくりで考える事ができるかと思います。創造でない料理や、絵画もいっぱい存在しますが、要はその動作をするときにいかに右脳が活性化しているか、ということだと思います。その違いが「創造」と「製造」だと思います。

池の平でイモリ池の端に立って妙高山を眺めると、脳みそと胸の奥にザバ〜っと聖水をかけられたような気分になります。馬場の谷向こうの点々とする民家の風景を見ると、ずっと立ち止まっていたくなります。小濁の親戚の家の居間から縁側を眺めていると、時間が動いている事を忘れたくなります。そう言えば、修業時代に南部の素晴らしい食文化に出逢ったのもこの場所でした。
魂の存在する所はいくつかあって、それを素直に感じ取れる自分でありたいと思います。

アートは誰にでも

芸術は、芸術家と呼ばれる人のためにあるものではなく、それを感じることが出来る人みんなのためにあるものです。5月のほんわか色の山を見て、心がぽっと温かくなったり、厳寒の殺風景な玄関に一輪の花をさしてみたくなる人だと思います。
なにも、鑑賞するばかりがのうではありません。自分で演じたり、作ったり、クリエートする気持ちさえあれば”上手い下手”は1000%別次元の問題です。逆に創造性の乏しいものは絵画であっても、音楽であっても芸術とは言いにくいですね。資格云々の話はしません。

そう考えると、誰でもアートの世界に容易に踏み入れる事ができると思っていいのですが、そこで重要なのは環境です。芸術が活性化するには、先ずは「生み出す環境」そして「持続させる環境」です。
物理的な環境もあります。絵を描きたいと思っても、画材が手に入らない。描くだけの時間がない。資金がない。ピアノを演奏したいのにピアノが無ければ話になりません。
「逆境を乗り越えよう」それも否定しませんが、芸術家は数値を競うスポーツ選手ではありません。そこが錯覚するところです。
”がんこ”と”がんばり家”はガンになると言ったスゴイ人がいました。

持続させる環境

一番の難関はこの後者の「持続させる環境」です。
切り絵作家 藤城清治は商業作家でありながら、あの一貫したテーマ性と持続力で圧巻し感動を呼びます。私たちは子供の頃描いた絵、初めて作った粘土のヒーローを今作れるでしょうか。その差にヒントがあります。
音楽家のようにテクニックを元に表現するジャンルのアーティスト。その日々の研鑽には頭が下がります。
そう言えば、他人の包丁さばきや、ギャルソンの身のこなしばかり気になっていた昔は、味やテクニック本位で料理を見ていたように思います。「料理は芸術たりうる」をひたすら否定し続けていた頃です。

「継続させる精神力」ということを言った人もいました。陶芸家の板橋廣美先生です。先生は独自の発想で板橋窯?なる、超簡単で奇抜な窯の考案者でもあり、石膏を用いた発想豊かな作品も創っておられますが、私が上越教育大学で履修中に運良く講義を受けることができました。「最初に思ったイメージをいかに最後まで持ち続けて作品と向き合えるかがポイント・・」というワークショップをやってくださいました。作家の皆さんは誰もがうなずく言葉でしょう。そう言う意味では、プロの芸術家は、持続できる精神力そのものがテクニックとも言えるかもしれませんね。

芸術を持続させる環境。一つは否定されない空気です。否定されてもお構いなしの精神力があれば別です。これもテクニックかな?
生み出されるものが、自分や人や環境に迎えれられ拒否されないこと。誤解しないでいただきたいのは、誰が聞いても耳障りな音楽、不快な絵、これは作者が公開を自粛するという前提です。
受け入れられる環境は、芸術が育まれ、循環するためには不可欠なものです。
生活環境が、という意味では、トンビがタカを生む事は(例外を除いて)無く、「食は三代」「芸術一家」という言葉からも想像できます。

芸術と地域開発

そうなんです、誰でも芸術家要素を持っていて「生み出す環境」と「継続させる環境」によって芸術が育まれるとしたら、必要な条件は何でしょう。(時間をも生む金銭的支援を受けることは可能ですが、家族の理解というのもあり、それらはある程度個々の問題ということで・・)

・侵害されないために…「騒音」「悪臭」「目障りなもの」「他人の干渉」などを排除する

・生み出し育むために…「地の素質」「自然環境」「鑑賞環境」を整備、維持する

もちろん、産業と結び付く事を除外して考えることはできません。むしろ有機的に融合し両立させることもこれらの条件をクリアしていく意味で重要です。
事例となりますか…フランスのバルビゾン村、大分の湯布院や長野の小布施。欲張る訳ではありませんが、広い意味のエンターテイメントとしてTDLのようなテーマパークだって、除外して考える必要もありません。

では妙高の芸術事情は?
偏見かもしれませんが、妙高は残念ながら文化が育っていると言えないと思います。
私が知っている妙高の素質が、芸術を生み出しきれていないというイメージが近いかもしれません。
せっかくの文化を隠してしまうような施策、開発。もちろん世の中の風潮、市民が求めているのだから、と言っておきますが、今はしかたないと思います。
私は、妙高の素晴らしさを誇りに発信しつつも、そんな地元にがっかりし、嘆いていることも少なくありません。自分かわいさのあげく「どこかいい環境のところはないかなぁ?」といつも”気の溢れるスポット”を探している自分がいます。
一方で生まれ育った愛着のある郷土やねおかんの瑞穂が、素晴らしい地域になっていく夢を持ち続けている事も事実です。

とにもかくにも、妙高には自然や歴史によってもたらされた美はありますが、個人や人の手によるアートは、これというものが非常に少ない。物や景観ばかりでなく、食、芸能、エンターテイメント・・。
機能や常識、人目を気にして、遊ぶことや無意味なこと、飾ること、おしゃれすること、楽しむこと、ゆっくり考えること、どれも不足しているように思います。物重視のやむを得ない時代もあった事も忘れちゃいけませんが、できればもうちょっと、人の匂いがしつつも「あ〜いい雰囲気だねぇ」と声に出してしまうようなポイントが増えて欲しいと願います。

長々とまとまりませんが、人ともの作りと食にまつわる文化が生み出す芸術。これが私の芸術感だと思っています。
私は今年友人に教わった「一人一燈」の精神をちょこっと頭に入れながら、こんなテーマでねおかんで取り組んでいます。
ゆっくり創ることが自分や人の発見、ひいては家族、地域、世界平和へ繋がっていくと真面目に考えています。

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2008年01月26日 13:34に投稿されたエントリーのページです。

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